今日も有明海は夕焼けに色づいていく。
私はたまに、ひとりでここへやってくる。
6歳の夏、私は友を亡くした。
トラックの交通事故に巻き込まれたものだった。
前日まで仲良く一緒に遊んでいた友の死はあまりにも突然の出来事だった。
私の自宅からたった100m程の所に住んでいた同級生の訃報は、本当に言葉に表せないほどの辛い思い出となり、今でも心に刻まれている。
だからこそ、命や生活など、その人の「生きる力」に幼少期から強い関心と執着を持つようになった。
14歳の時に柔道中の事故で足が反対を向く程の大怪我をした。
この怪我が引き金となって膝の手術は現在まで5回行い、私の右膝にはワイヤーが入っていて、70歳の患者さんの膝よりも悪い。
さらに手の中の骨を折る怪我も重なり、ボルトを入れる手術をした。手には現在もボルトは入ったままになっている。
そして私は、友人の死と自身の大怪我、を経験した事で、人の人生を支える仕事が天職だと感じ、心身のリハビリの専門家である作業療法士を目指した。
作業療法士の養成校時代は本当に頑張った。
医療関係の学費は高く、我が家には何年も通えるほど余裕はなかったからとにかく必死だった。
さらに実習では陸の孤島のような病院に飛ばされ、とても厳しい先生にもお世話になった。
3時間睡眠でレポート1500枚書き、1日13時間の勉強を経て国家試験に合格、晴れて作業療法士として働き出した。
がむしゃらに頑張ったフラフラの生活で90kg➡64kg➡70kgとジェットコースターの様に体重は変化した。
作業療法士になってからは、仕事にやりがいを感じてとにかくがむしゃらに働いていた。
ここまで勉強したんだ、これからはある程度、金銭的に余裕がある生活が出来るだろうと思っていた。
だけど、現実はそんな簡単じゃなかった。
療法士の医学の勉強は、勉強会など結構なお金がかかった。
やっていた治療技術の勉強会は5万~15万。
自己成長の為なので、もちろん自腹だ。
結局、勉強会のお金を考えるとむしろきつい生活だった。
そして、療法士になって数年が経った時、再度大怪我をした。
もう身体がボロボロだった。だからそれから毎年の様に手術をする事になった。
手術からリハビリまで、1度に数十万かかった。
制度を知らずに100万円を支払う事もあった。そんな手術を計6回だ。
手術による金銭的な負担で生活レベルがガクッと落ちた。
はっきり言って、結構頑張って来た人生だった。
だけど、これだけ頑張ってきたのに、これくらいのイレギュラーがあれば貯金は全て吹っ飛んだ。
何の為に頑張って来たのか、自分が信じて進んで来た道は間違っていたのか。
あれだけしても、この程度で生活出来なくなってしまうのか。
本当に辛く、何より悔しかった。
でも、そんな時に1人だけ私を支えてくれた女性がいた。
沢山迷惑をかけたけど、彼女は私を受け入れてくれた。
本当にありがたかった。
だから、いつか幸せにすると心に誓い、私は彼女と結婚した。
そして家庭の事情で私の生まれ育った田舎に帰る事になった。
田舎の病院に転職し、更に年収は100万円近く下がった。
そんな金銭的にキツかった時、学生時代の友人が私の噂を聞いて訪ねて来てくれた。
彼はネット上で起業していて、成功していた。
「お金に困ってるんだろ?ビジネス教えてやるからやってみなよ」
彼はそう言うと、彼の知る「自分で起業をする」という世界を包み隠さず教えてくれた。
彼の話すビジネスの世界は私が全く知らない世界だった。
聞く話ひとつひとつが斬新で、私は彼の話にのめり込んでいった。
その中でも、彼は初心者でも結果が出やすいビジネスモデルとして物販のやり方を教えてくれた。
更に、療法士の技術を生かした整体ビジネスも始め、私はがむしゃらに頑張った。
最初の3か月は結果が出なかったが、私には後が無かったから、友人を信じてやるしかなかった。
そうすると、ある時いきなり結果が出てきて、毎月十数万の副収入が手に入る様になった。
そんな生活を数か月続けていくと経済的にも立て直せる様になった。
今思えば彼のその行動や言葉が私の人生を変えてくれた。
途中きついこともあったけど、彼の言った通りだった。
頑張れば頑張るだけ成果は出た。
努力が結果として出る。
なんてすばらしい事なんだと思った。
その時、ハッと気が付いた。
私の持つ国家資格の「作業療法士」は、様々な場所で社会復帰を目的としたリハビリの指導をしているけれど、金銭的な不安を払拭する方法なんて教科書には載っていなかった。
だけど、私が友人から学んだ様に自分でビジネスを経営し、収入を得るという方法を人に教えて、自分のビジネスで収入を増やす人が増えれば、その人のQOL(生活の質)を大きく向上させる事が出来る。
これこそ人生レベルのリハビリであり、そんな仕事こそ『私が人生をかけて本当にやりたい仕事』だと気が付いた。
私の心に火が灯り、それを実現する事が私の次の目標になった。
それから私は、より高みを目指した。
自分の趣味の時間やお金は全てビジネスの売る仕組みを学ぶ事に費やした。
自己投資を惜しまず学びに年間200万円以上かけて、ビジネスの売る仕組みであるマーケティングを全力で学び、どんどん自分のレベルを上げる努力をした。
その結果、自分の収入も右肩上がりに伸びていき、自分が大金をかけて学んだ「売る仕組み」を再現性の高い手法に再構成して、自分のクライアントさんにオンラインでのビジネスの組み立て方や収益化を教えれるレベルになった。
そして私が教えたクライアントさん達もしっかりと結果を出してくれた!
本当に嬉しかった。
自分の学んできたことで、クライアントさんに喜んでもらう事が出来た。
こうして自分のクライアントさん達と楽しくビジネスを行える様になってきた私も、新しい命を迎えることが出来て父親になった。
ただ、息子は早産で「新生児仮死」の診断がついた。
保育器の中で沢山の点滴の管に繋がれた息子は、本当に一生懸命に頑張って生きていた。
そんな息子を見て「絶対にこの子の将来を守る」という決意をした。
そんな息子も少しずつ成長してくれて、何とか心配ない状態にまで元気になってくれた。
私はビジネスを始めて、一気に立ち止まらずここまでやって来た。
気が付けば月収160万円を達成し、コンサルタントとして独立もできた。
その結果、大切な家族との時間をゆっくりと過ごす事も出来る様になり、平日に時間を気にせず旅行に行けたり、家族とかけがえのない時間を過ごしたり、様々な経験をさせてあげられるようになった。
もしかしたら、今はまだ、私の様な働き方をしている起業家、経営者は多くはないかもしれない。
だけど、私がこれからも向上心のあるクライアントさん達にマーケティングを教えていけば、大切な人の為に生きていける仲間が増えていくだろう。
私は今まで自分でビジネスを始めて、たくさんの問題が起きたし、たくさんの壁が目の前に現れた。
それでも試行錯誤して、時には人の力を借りて、その壁を乗り越えてきた。
これからもたくさんの壁が私の前に出てくるだろう。
でも、それと同じくらい、いや、それ以上の楽しみや幸せがきっと待っていると思っている。
私のこれまでの人生には、様々な人との「出会い」があった。
たくさんの人に助けられ、チャンスを貰い、今日まで生きてきた。
これからも一人の人間として、一人の父親として、縁のあった方々との繋がりを大切にして、これからも「本当に尊敬し合える人達」とWin-Winで楽しくビジネスを行っていきたいと思っている。
これを見ているあなたの未来が、今よりずっと輝いているように願いを込めて。
最後まで「私の物語」をご覧いただきありがとうございました。
この物語はすべてノンフィクションです。
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