楽天の元監督、野村克也さんから学んだ事

こんにちは、森の熊♂です。

今日は残念なニュースが朝から入ってきました。

楽天イーグルスの元監督、野村克也さんの訃報が報道されました。

私個人として野村監督と面識があるわけではないですが、私のビジネスが軌道にまだ乗っていなかったころ、野村さんのお言葉を私の支えとして常に心にとめていた事がありました。

今回は訃報を聞いて、野村さんへの感謝の意を込めてご紹介したいと思います。

野村克也さんの経歴

1935年6月29日現在の京丹後市に誕生される。

1954年、南海に契約金0円のテスト生として入団。シーズンオフに一度戦力外通告を受けるが南海の捕手不足により結果として残留となる。

プロの若手時代、先輩から真っ直ぐ投げれていない事を指摘され、原因はろくにボールの握り方も知らなかった事だと考え、考える事の重要性を知ったとの事。また、遠投は体全体で投げる事という先輩のアドバイスを「体全体を鍛えればいい」と解釈し、当時まだタブーとされていたウエイトトレーニング開始した。

こういった経験から、指導者となってからも考える事の重要性を常に説いていらした。

選手として打撃不振となった頃、医師であった謎のファンからテッド・ウィリアムズの著書「バッティングの科学」を送られた。その中で「投手は球種によりモーションの中で癖を見せる」という一言があり、それをきっかけに投手の癖を研究するようになり、スランプを脱出する。

だが、どうしても稲尾投手だけは攻略できず、16ミリカメラで稲尾投手を撮影し研究したと言われていた。

これが今後の野村監督時代のID野球の基盤となっている。

1957年には本塁打王に輝く。

1962年にはパ・リーグ記録を抜く44本塁打を記録。

1963年にはプロ野球記録を抜く52本を記録。

その後、8年連続本塁打王、1965年には戦後初の三冠王に輝く。

しかし、当時の野球人気は巨人を筆頭にしたセ・リーグの人気が高く巨人の長嶋茂雄氏や王貞治氏と比べても世間からの注目は少なく、今に伝わる打者としての評価も目立たないものであった。

そういった背景から、長嶋茂雄氏や王貞治氏を「ひまわり」とするならば、自らを「月見草」と例えた事から、「月見草」が自らの代名詞となった。

その後も、打って良し、守って良しの名キャッチャーとしてロッテ、西部でプレーし、1980年に45歳で現役を引退した。

平成2年にヤクルトの監督として就任し、3度の日本一に輝くなど名将としても手腕を発揮した。

その後、阪神、楽天で監督を務め、「ぼやき」と呼ばれた独特の語り口で世間から愛され、2009年にユニフォームを脱ぎ、その後は解説者として活躍された。

成果が出るまで常に心にあった野村克也さんの名言

私がビジネスでまだ成果が出なかった時期から、実は野村克也さんのこんな言葉を私はノートに書いて持ち歩いていました。

「勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし。」

これは私がマーケティング戦略をとっていく中でも常に考えている言葉です。

「今、自分が行っている行動がマーケティング的に本当にあっている方法なのなら、それで成功しないことは無い」

という考えです。

逆に言えば、

「もし負けている(成果が出ていない)のなら、そこにはマーケティング戦略として何かしらの原因がある」

という事です。

だからこそ修正し、再度行動に移す。

私にこれを教えてくれたのは野村監督の言葉でした。

だからこそ、私は諦める事なく、自分のビジネスを客観的に評価しながら行ってきました。

そして今に至っています。

私ももちろんまだまだ道半ば。

これからのさらなる飛躍の為に、

「勝ちに不思議な勝ちあり。負けに不思議な負けなし。」

この言葉を私は忘れる事はないでしょう。

感謝の意を込めて。

森の熊♂

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